「居心地の佳い」とか、「落ち着く」とか、こういった言葉はすべて身体で感じたことを表現しているわけですが、このことを身体の外からの条件によって説明しようとすると大変難しい。ある人は天井の低い家が佳いと言ってみたり、ある人はこういう冷暖房設備が佳いと言ってみたり、また、ある人は木造がいいから全部木でつくるのが佳いんだと言っています。それぞれに理屈があって、なるほどそうだとうなずくこともできるのですが、じゃあ、それらを「あわおこし」のように集めたところで、居心地の佳さは説明できないのです。なぜかというと、やはり身体の問題は身体で説明するほかにないのです。

 私は「居心地の佳い」ということを、場に感応する身体に生じる身体感覚のひとつとして捉えています。そして、身体感覚を確かめようとすると、必然的に身体を内観せざるを得ない。これまで、居心地の佳いということについていろいろの説明がされていながら、なお、説明しきれていないのは、この身体を内観することを忘れた結果だと思っています。

 言葉で説明しようとするとなかなか難しいですが、ここの居心地が佳いのか悪いのか、身体はすぐにわかります。たとえば居心地の佳いところに座れば「あっ佳いな」となりますね。おいしいものを食べるのと一緒です。一口食べて、「これは私にとっておいしいのでしょうか?」などと聞く人はいません。ですから、居心地の佳いということを考えるのであれば、身体からスタートするのが一番近道で確実です。そして、いろいろの技術を駆使し、さまざまな条件を盛り込んで設計を行い、最後にまた身体にもどる、というのが本当だと思うのです。これは、設計者が設計以前に、あるいは技術以前に考えておかなくてはならない問題だと私は思っています。

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